ミミの部屋

〜園主である私と偽シェパードのミミ〜
私達は17年もの間相棒であり家族でした。
   2009年11月30日を境に私の元を離れ新たな旅立ちをしたようです。
この部屋ではミミのことを話させてください。



   ミミは17年前のある日、福岡市の聾学校に捨てられていました。まだミルクを飲んでいたように思いま
  す。産まれた月はわかりません。だから毎年4月で計算しています。2009年4月で17歳になります。
  人間で言うと90才近く。・・と思うと年の割にはやけに若い犬です。

   ミミと言う名前は、聾学校の子ども達が考えた名前です。耳に障害がある子ども達が通う学校で飼って
  いる犬だから「ミミ」。
  ミミは、ここで3歳を迎えるまで子ども達に囲まれて育ちました。当時の子らは、今は22〜23歳くらい。
  ミミのこと覚えているかしら・・。ミミは忘れているかもね(笑)ちなみに私は当時26歳で、今は42歳。
この聾学校時代の3年間、休日の度に私とミミは、
海に山にとデートを重ねることになります。二人とも暇
だったこともあり、最初は近くの椎葉の山の散策へ。
さらに百地浜の海水浴場から、ついには古湯温泉ま
で旅することに。。

〜まだ2歳の頃。元気に百地浜を駆け回る〜

〜まだこの頃は産毛で、シェパードみたいな模様ではない〜
海水浴場では、他人のアイスクリームを奪いまくり、
私は頭を下げまくり。古湯温泉では、釣り人の浮きな
ど釣り道具を噛みまくり・・・。ミミは、そのしつけの悪さ
と、粗暴ぶりを存分に発揮し、私を悩ませたもんです。


そうこうするうち私は長崎へと帰郷することになり、な
ぜかミミは私と共に長崎に来ることになったのです。
そして3年後私とミミは、就農。私が31歳くらいだった
っけ。ミミが6歳の頃のお話です。
就農してから現在、2009年始めまでのこの10年間は
、いつも一緒で、私の軽トラックの助手席は、人間では
なくいつもミミの予約席。弁当もいつも分け合って食べ
てきました。

〜就農当時。毎日走り回れることが楽しい!!〜

〜当時乗っていた4WD。半分彼女の巨大犬小屋。2000年頃〜
でも、常に私の周りから離れません。たまに自分の縄
張りのパトロールするくらいです。
いつもミミと一緒の私でしたが、自分の子どもが産ま
れてからは、子どもに愛情を注ぎ、ミミに対しては・・・

だったような気がします。ただ畑に連れてきて、帰る
だけの日々。
迷子犬になってから捜索していた6日間、〜そういえば
、きちんと頭なでてやる回数減ったなあ〜そんな事
を考えていました。私の激動の青春時代、ずっとそばに
いてくれたミミ。嬉しい時も悲しい時も。
そんな犬だから、迷子になってから、6日後、ある団地
の巨大水路で、びしょ濡れになって、ついでに一回り
細くなったミミをこの目で見た時は、なぜか夢のようで
今でも現実のようには思えません。

〜2009年現在の指定席。狭い〜
肩に抱き、その水路のはしごを登るのですが、ミミの
軽くなったこと。最初の一言は「メシ」だったような気
がします。
発見の翌日は、雨でした。見つかったその水路を見て
みましたら、濁流。濁流のその先にはこれまた巨大な
ため池が20メートルくらい下に待ち構えています。1日
発見が遅かったなら、ミミはあの世行きでした。
今、またこれまでの10年間と同じように、私は農作業
をし、そばにはミミがいて、昼になると弁当を分け合っ
ています。これまでより、年老いてきたミミの為、運転
をソフトに変え、今までよりも語りかけ頭をなでていま
す。
犬の寿命の平均は15歳だとか・・。ミミはもう17歳に
なろうとしているので、あと何年生きられるかはわか
りませんが、しーっかりかわいがってあげようと思うの
です。
 それから又、11ヶ月の間、私達はこれまでと同じよう
に朝から夕方まで畑で働きました。
しかし11月30日に、私が1時間目を離した隙に、またし
てもミミは放浪し始めたのです。(半分認知症がありまし
た。)
 私と家族は探した探した。行きそうな道や団地、山の
中。溝の中まで探せる場所は全部探しました。しかし2
週間の捜索に関わらず、前回と違い目撃情報は皆無に
等しく今回は全く検討がつきません。

 途方に暮れるしかなく、神に祈るしかなく、耐えがたき
を耐えるしかありませんでした。

 そして迎えた年末。私はどこかで生きているであろう
ことを望みつつ、ミミを断念しました。
 

〜失踪する前日娘とのショット〜

〜ミミ 生涯戦跡 葡萄の枝かじるウサギ2羽 
葡萄の実を食べるハト3羽 〜 
 お前バチがあたったのかもよ
現在、自分の中で少しずつあせりが消え始め心の整
理がつきはじめました。今あるのは私が二十代から
のミミとの楽しかった数々の思い出と感謝のみ・・。
 恐らく、役目を終えたミミを神様が自分の下へ導い
たのだろうとそう考えています。だから決して誰にも
見つけられないのでしょう。

ミミありがとう。最後少しきつかったね。よしよし、私が
そちらに行く時はお前が大好きやったミカンを百万個
持っていくよ。また相棒になっておくれ・・。
ミミが失踪していた間、密かに紅葉真っ盛りだった、イチ
ョウの木。これをミミの墓標として彼女の唯一残していっ
た「毛」を埋葬しました。この日から、この木はミミの生ま
れ変わりです。
 一生忘れぬよう12月25日を命日としました。

(明日見つかりましたなんて連絡があったりして(笑))
〜追記〜

 ミミが、2009年になって2回にわたり迷い犬になって捜索するにあたり大勢の方にご協力を賜りました。
嫌な顔をする人は誰一人居ませんでした。しかもみんな、私の事も、ミミのこともほとんど知らない人たちです。

 こんな不景気に、殺伐とした世間の中で、ホントに人の気持ちの暖かさやありがたさを痛いほど感じる事が出
来ましたことは、今回の事件の中での「幸い」でした。

 ペットは、今やペットでなく家族です。ミミは犬ではなく、ミミなのです。動物を飼う皆さんは分かると思います。
今回の事件で色々調べましたが、飼いきれなくなって放棄された犬猫は、よほど運が良くない限り、かつて仲
間だったはずの人間から殺され(処理)てしまいます。安楽死ではないそうです。

子どもたちになんて伝えましょう??

                             〜命は大切に〜