[安全」と「安心」


「安全」と「安心」。反対言葉で言えば「危険」と「不安」。

どちらも普通はこう考えるでしょう。「安全」だから「安心」。または『危険』だから「不安」だと。
本当に安全なら安心でしょう。本当に危険なら不安でしょう。しかし、私達が、買い物やいろんな物事を考える時には、単純にそう割り
切れない場面がでてきます。

「安全」だけれども「不安」。「危険」だけれども「安心」・・。一見変ですがそんな場面はよくあります。それは物事を熟知してないために
おこります。農産物の場合、世間のイメージは農薬は「危険」で「不安」なものです。天然由来の物質は「安全」で「安心」です。

以下はたとえ話です。
ある天然由来の殺虫剤を使用した野菜が、あるスーパーに出品されました。「天然由来の殺虫剤を使用して栽培したので安全・安心で
す。」そんなうたい文句がついていたとします。この殺虫剤は日本では農薬として認められていません。なぜなら、魚毒性について日本
の基準をクリアーしてないからです。

方、すぐ隣で、通常の栽培方法、つまり化学合成農薬を使用して栽培された野菜が陳列されています。
皆さんなら、どちらを買うでしょう??

多くの人は品質が同じで、同じ価格なら前者の野菜を買うのではないでしょうか?「天然由来の殺虫剤を使った野菜」を買ったお客さんは、
安全な野菜を買ったわけではなく、「安心」を買ったのです。それは農薬が「危険」で天然物質が「安全」というイメージが私達の頭の中に出
来上がっているからです。「安全」なのに「不安」で、「危険」なのに「安心」という変なパターンです。

また、右の写真は葡萄業界では当たり前ですが消費者やお客様か
らは敬遠される農薬。
その名もボルドー液。敬遠される理由はご覧の通りの汚れ。
しかし、このボルドー液は汚れに反して安全面ではぴか一の農薬。
1882年にフランスはボルドー大学で、葡萄の盗難避けに散布され、偶然
にも耐病性が発見されたのが使用の始まり。硫酸銅と石灰の化合物。

この農薬は派手に汚れますが、有機栽培にも使用できる代物。私の記憶
では農薬散布のカウントに入らなかったのでは??
法律上は何回も散布してもよいし、いつ散布しても良い。それほど毒性が
低いのです。

現在は情報が氾濫しています。化学物質=危険で、天然成分=安全というすでに出来上がってしまったイメージは中々拭えません。
『毒性』の世界では、由来が天然であるとか化学物質だとかの分け隔てはしないそうです。天然であれ化学物質であれ、安全であった
り危険であったりします。あれほど騒がれた環境ホルモン(内分泌攪乱物質)ですが、最近聞かれませんね??どうなったのでしょう?

カップラーメンのカップから環境ホルモンが染み出すとして、ある団体からは麺を普通のどんぶりに移してから食べるように指導があっ
たくらいでしたね。あるカップラーメンのメーカーは、カップを一時紙製に変えました。現在は??「日清」以外は紙製ではありません。
なぜなら、検査の結果、カップから環境ホルモンは検出されなかったからです。知ってました??
それだけではありません。環境ホルモンを疑われた化学物質の大部分が判定は白に終わりました。

マスコミは、売れそうな記事は大々的に報道します。しかしこの環境ホルモンのように疑いが晴れたなどのような記事はほとんど報道され
ません。


上の図は、ガンの疫学者が考える発ガンの危険性と、一般の主婦が考える発ガンの危険性の考え方の違いを示したものです。

死因 危険度 死因 危険度

たばこ(1箱/日)
原付自転車
肥満
造影剤注入
肺内視鏡
胃カメラ
市街歩行
エイズ
スキー
残留農薬・食品添加物

1/200
1/250
1/600
1/2000
1/5000
1/10000
1/20000
1/30000
1/100000
1/500000以上

アルコール
ハングライダー
心臓カテーテル
自動車
自転車
家事
肺レントゲン
医薬品
原子力発電所放射能
 

1/250
1/550
1/1000
1/4000
1/8000
1/15000
1/20000
1/80000
1/200000

(Dr.ファースト 1990年:「持続可能な農業と日本の将来(化学工業日報)」より転載)

上の図は何人に1人が「死」に至る可能性があるかという事を示した図です。以上のことから、意外に農薬の危険性は私たちの考える
よりも少ないことがお分かりいただけるでしょうか??


私は近い将来「エコファーマー」の認証を取得しようと考えています。その取り組みの中には「減農薬」も含まれます。しかしこれは私の場
合、農薬が危険だから取り組むのではありません。・環境に対する負荷を減らす。・労力を減らす・コストを減らす。以上3点のために取り
組むものです。

私の作った「減農薬」の作物と、「慣行」の防除暦を元に作った作物の安全性は「減農薬」のものが高いのはいうまでもありませんが、
それは、どちらも十分安全圏内でのお話・・・。「減農薬栽培」のほうが。『より』安全だという程度で、「慣行栽培」の農法が危険だと言う事
ではありません。人間に与える農薬の影響はどちらかなり少ないものだと考えます。したがって、価格に差をつけ高価で販売することは今
のところ考えておりません。
 
現代の農業は、過去の化学肥料化学農薬主体の農業が、環境への影響を無視していたことの反省から、環境に対する影響を含めて
大きく変わりつつあります。しかし、農薬は必要ないのかと問われれば、そんな事はないわけで江戸時代の農業では、自然に大きく影響を
受け、継続的に農産物を国民に供給することは不可能です。
私達には、テレビやラジオ等限られた情報しかなかなか耳に入りません。しかし本当のところはどうなのか?イメージだけで判断すること
は非常にもったいなく、常に検証する姿勢が私は必要だと非常に思います。


私の農業は、有機農法主体の農法ではありません。また、化学肥料・農薬に頼った農法でもありません。有機には有機のいいところがあり
化学には化学の良いところがあります。
危険かどうかは、化学か有機かではなく、それを使用する人間で決まるのです。

昔見た映画でこんなこといってたのを思い出しました。「世の中、黒か白ならはっきりわかる。しかし実際は灰色のものが多い」全くだと
思います。私達は「灰色」の中で悩む生き物。一緒に悩んで生きましょう!(わけわからん最後になりました。笑